徳川慶喜は江戸幕府最後の将軍として有名です。彼は江戸幕府の将軍宗家の出身ではなく、水戸徳川家という徳川宗家の分家出身です。それに水戸徳川家というのは、参勤交代をしなくてよい代わりに、他の御三家尾張徳川家と紀州徳川家が大納言という位を与えられるにも関わらず、一段下の中納言でしかありませんでした。当然、他の二家が将軍を輩出する可能性はあっても、水戸徳川家にはそれがほぼなかったといっても良い状態でした。しかも、徳川慶喜はその水戸徳川家の七男ということで、普通なら江戸幕府の将軍になることはないような出自でした。
ただ、彼はとても賢くデキる人間でした。よって徳川慶喜の父がそれに目をつけ、一橋徳川家という、これまた徳川家の分家で、江戸幕府八代将軍の徳川吉宗が、跡継ぎ候補を多く残すためにつくった分家のうちの一つの養子となったのです。
その後は、徳川慶喜の才能を見込んだお偉いがたが、徳川慶喜を次の将軍にと画策しますが、様々な者の妨害によって阻まれました。
ただ、時代の波にのまれ、徳川慶喜は将軍になったのです。xn--dckg3bvc9e0c3a8ic0d1c1oc2415k.jp